「知的能力の高さ」は「語彙の豊富さ」と大きな関係がある|安達裕哉

このコンテンツは有料note「webライターとメディア運営者の、実践的教科書(安達裕哉著)」より転載しています。


今回はライターにとっての「語彙」の重要性と、ライターやるならちゃんと本を読みましょう、という話をします。

語彙力 ≒ 知的能力

語彙の話をすると、「辞書引いて調べればいいじゃない」とか
「知ってるか知ってないかだけ」とか、ちょっと小馬鹿にしたような態度を取る方がいます。
とんでもありません。
「言葉を知っているかどうか」は、非常に重要な話であり、実際、語彙力は知的能力と大きな関係があります。
 
例えば、ベネッセの調査では、「語彙力」が高い高校生は「思考力」等も高いとの示唆があります。
「語彙力」は学力や学び方の経験との関連が深いが、その「語彙力」を学力の要素として評価する手法は、大学の間で広がりつつある。
(http://between.shinken-ad.co.jp/hu/2017/10/goiryoku.html)
あるいは、小学生でも「できる子」は「できない子」に比べて、遥かに多くの語彙を有しているという事実が紹介されています。
 
「100マス計算」の生みの親である岸本裕史は「知的能力の中核は言語能力」と述べています。

知的能力の中核は言語能力です。俗に頭がいいとか、高い知能を持っていると言われているのは、言語を思考の道具として自由に駆使したり、多彩に概念を操作できる能力が優れているということなのです。この能力は、生まれてから後の言語環境のよしあしと学習によって決まってきます。

 
したがって、数学者の藤原正彦氏が学校教育に必要なのは「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」と述べているのも、当然なのです。

語彙は単なる「記憶」ではなく「概念」をどれだけ知っているかの指標

このような話をすると「学校の勉強」に限ってはそうかもしれないけど、頭の良さとは、ちょっと違うのでは?と思う方もいるでしょう。
 
ところが、そうではありません。
「語彙」こそが、知的能力の本質の一角を占めているのです。
なぜならば、言葉というのは、単なるコミュニケーションの道具ではなく、「思考の結晶」、つまり「概念」だからです。
つまり、「言葉を知っている」=「その概念を知っている」なのです。
 
ジョージア「世界は誰かの仕事でできている」や、タウンワーク「バイトするならタウンワーク」などのコピーで有名な、元電通の梅田悟司氏は、著書の中でこれを下のように表現しています。

言葉を生み出す過程には、1.内なる言葉で意見を育てる、2.外に向かう言葉に変換する、という二段階が存在する。

内なる言葉=「思考・コンセプト」であり、外に向かう言葉は、それを結晶化して表出したもの、と梅田氏は言います。
 
具体的な話をしましょう。
例えば「直角三角形」や「二等辺三角形」という言葉。
あまりにも一般的な言葉ですが、これらは、二千三百年前に、ユークリッドが「原論」の中で定義するまでは、登場したことがありませんでした。
 
つまり人類は「さんかくのような形をしたもの」は知っていましたが、「直角三角形」「二等辺三角形」などをうまく取り扱うことができなかったのです。
実際多くの人は「直角三角形」「二等辺三角形」などというコンセプトを、学校で教えられて、初めて獲得します。
 
しかし、ユークリッドは以下のように「直角三角形」や「二等辺三角形」などを正確に定義しました。
三辺形とは三つの,四辺形とは四つの,多辺形とは四つより多くの線分にかこまれた図形である.
 
三辺形のうち,等辺三角形とは三つの等しい辺をもつもの,二等辺三角形とは二つだけ等しい辺をもつもの,不等辺三角形とは三つの不等な辺をもつものである.
 
さらに三辺形のうち,直角三角形とは直角をもつもの,鈍角三角形とは鈍角をもつもの,鋭角三角形とは三つの鋭角をもつものである.
これにより、数学は飛躍的な前進を遂げました。
三角形の正確な概念化は、人間に科学を与えたと言ってもよいほどの功績です。
 
あるいは「色」に関する言葉。
本質的には、色は無限に存在し、その色どうしの境界もあいまいですので、色を伝えるのは非常に難しいことです。
例えば下の色。この色を人に伝えるのに、どのような表現を使うでしょうか?
黒っぽい黄色、という言葉を使う人もいれば、くすんだ緑、という方、オリーブの缶詰にはいってる実の色、という方もいるかも知れません。
 
しかしこの色、実は名前があります。「うぐいす色」というのです。
JIS規格でも「マンセル値で1GY 4.5/3.5」という定義があります。
 
さて、これを知ると上の色の取り扱いが簡単になります。
あなたは今「うぐいす色」というコンセプトを獲得しました。
これを知っているだけで、「うぐいす色を薄くした感じ」とか「うぐいす色に黄色みを強く」などの概念を取り扱うことができるようになります。
 
言葉は、単なる道具ではありません。
「思考の一部」を、人間が切り取ることによって生み出された「概念」そのものであるため、これを知ることは、人間の思考の幅を大きく広げるのです。
 

ソシュールの偉大な功績

実は、この「言葉は人間の思考を切り取ったもの」という考え方自体も、フェルディナン・ド・ソシュールという十九世紀の言語学者による発見です。

それだけを取ってみると、思考内容というのは、星雲のようなものだ。そこには何一つ輪郭の確かなものはない。あらかじめ定立された観念はない。言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。

「言語化される前には、存在しない」という斬新なコンセプトは、大きな影響を各所に与えました。
 
例えばみうらじゅん氏。
彼は「マイブーム」「ゆるキャラ」という言葉を作ったことで知られていますが、彼は博学なので、ソシュールのことを知っているのでしょう。
著作の中には次のように書かれています。
ここ数年ブームが続いている「ゆるキャラ」も、私が名づけてカテゴリー分けをするまでは、そもそも「ない」ものでした。(中略)
 
「ゆるキャラ」と名づけてみると、さもそんな世界があるように見えてきました。
統一性のない各地のマスコットが、その名のもとにひとつのジャンルとなり、先に述べた哀愁、所在なさ、トゥーマッチ感、郷土愛も併せて表現することができたのです。
あるいはアップルの「iMac」の命名者であるケン・シーガル氏は「i」という文字が、アップルの製品であることの印だ、と述べています。

「i」はアップルの家庭用デバイスである印で、その製品や製品カテゴリを表す語の前につく。アップルの主要製品のネーミング構造は、現在の顧客と潜在顧客にわかりやすい簡単なものだ。そして、人々はアップルの製品名を言えばいつでも、それを作っているのがアップルだとわかるのだ。これは信じられないほど強力な概念で、究極のシンプルなやり方だ。しかし、製品名においてこれだけのブランドパワーを獲得した企業はほとんどない。

これも一種の「概念の発明」であることは疑いようもないでしょう。
 

「物書き」の仕事のクオリティは語彙に左右される

つまり文字という手段を用いて、多彩な概念を取り扱う「物書き」の仕事のクオリティは、語彙に相当、左右されます。
 
したがって、物書きは「ヤバい」「うまい」「すごい」などの、解像度の低い言葉を軽々しくつかってはなりません。
むしろ、面白い記事を書こうとすれば
「この考え方を適切に表現できる言葉はないか」
「似た概念の言葉はないか」
と、言葉に気を遣いすぎるくらいで丁度良いのです。
 
村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にはこんな一節が出てきます。
あるピアノのレコードを聴いているとき、それが以前に何度か耳にした曲であることに、つくるは気づいた。
題名は知らない。作曲者も知らない。でも静かな哀切に満ちた音楽だ。冒頭に単音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ。その穏やかな変奏。
 
つくるは読んでいた本のページから目を上げ、これは何という曲なのかと灰田に尋ねた。
 
「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っています」
 
「『ル・マル・デュ……』?」
 
「LeMalduPaysフランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。正確に翻訳するのはむずかしい言葉です」
これは、村上春樹の偉大さを感じる一節です。
ホームシックでも、メランコリーでも、郷愁でも望郷でもない。
「ル・マル・デュ・ペイ」という言葉と、その概念を知っているからこそ、このような文章がかけるのです。
なお、個人的には、ライターの腕は、語彙力調査である程度判別可能ではないかとも思っています。
 

結論:「本を読もう」

しかし、情報処理学会の研究報告では、ほとんどの人の語彙はそれほど多彩ではなく、通常15000語も使っていません。
(出典:https://pdfs.semanticscholar.org/6121/6cb3ec9880cfe0a2b45b6af352ed6cd918c6.pdf)
雑誌で使われている言葉は12000語、テレビが17000語であるから、ほぼこの範囲に収まってしまうのです。
なお、Twitterの分析によれば、オンライン上で使われている言葉は約8000語で、雑誌やテレビより少ないのです。
「ウェブはバカと暇人のもの」という本がありましたが、残念ながら、そのとおりと言っても差し支えないのでしょう。
 
では、語彙数を増やすために必要なのは何か。
結論としては「書籍」しかありません。
実際、書籍は「コンセプト」を伝えることに特化したメディアであり、新しい言葉の宝庫です。
例えば下は、ナシーム・ニコラス・タレブの近著である「身銭を切れ」の導入部です。
本書は、かたや独立した本でありながら、かたや『インケルトー(Incerto)』と呼ばれる私の著作シリーズの一部でもある。
 
『インケルトー』は、不確実性のもとで生き、食べ、眠り、論じ、戦い、睦み、働き、遊び、決断する方法や、ランダム性の問題について、(a)実践的な議論、(b)哲学的な物語、(c)科学的・分析的な解説を組み合わせたものだ。
 
幅広い方々に読んでいただけるよう書いたつもりだが、だまされてはいけない。『インケルトー』は、あくまでもエッセイであって、どこか別の場所で行われた退屈な研究を大衆化したものではない(ただし、『インケルトー』の専門的な補遺は除く)。
 
本書では、次の4つの話題を同時に論じている。
(a)不確実性と、実践的な知識や科学的な知識の信頼性(両者が違うものだと仮定して)。もう少しぶしつけな言い方をするなら、たわごとの見分け方。
(b)公平、公正、責任、相互性といった人間的な物事における対称性。(c)商取引における情報共有。
(d)複雑系や実世界における合理性。この4つが切り離せないものであるということは、身銭を切っている人間にとっては明々白々な事実だ。
身銭を切ることは、公平性、商業的な効率性、リスク管理にとって必要なだけではない。この世界を理解するうえで欠かせない条件なのだ。
 
本書の第1のテーマ(a)は、たわごとを見抜き、ふるい分けることだ。要するに、理論と実践、うわべだけの知識と本物の知識、(悪い意味での)学問の世界と実世界との違いを理解するということだ。ヨギ・ベラ流にいえばこうなるだろう。学問の世界では、学問の世界と実世界の違いはないが、実世界ではある。
第2のテーマ(b)は、人生における対称性や相互性の歪みだ。報酬が期待できるなら、それなりのリスクを引き受けるのが道理というものだ。ましてや、自分の失敗の代償をほかの誰かに払わせるなんてとんでもない。ほかの人にリスクを背負わせ、相手が危害をこうむったのなら、あなた自身がその代償の一部を払うのが仁義というものだ。「自分がしてほしいことを他者にもせよ」という原則に従うなら、あなた自身も、起こった出来事に対する責任を公平公正に負担するべきなのだ。
この導入部だけでも、「新しい概念」の宝庫であることが一見して理解できます。
インケルトー、ランダム性、哲学的な物語、不確実性、公平、公正、責任、相互性、対称性、複雑性……
他のメディアでは扱うことの難しい極めて難解な概念を、なんとか読者に理解させるには、書籍というメディアを用いるほかはありません。
 
ただ、書籍を用いるときに注意もあります。それは
1.読み飛ばさない
2.辞書を引く
3.アウトプットする
の3つです。
 

1.読み飛ばさない

「わからない言葉は読み飛ばしていい」という方がいます。しかし、情報を取るだけであればともかく、語彙を増やすときに、この読み方は若干危険です。
例えば、次の問題を解いてみてください。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
 
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
Alexandraの愛称は()である。
 
①Alex ②Alexander ③男性 ④女性
これは、数学者の新井紀子氏の著作「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の一節ですが、全国の中学生の正答率はたったの38%、高校生ですら65%で、三人に一人は間違うという結果がでているのです。
正答はもちろん①ですが、誤答として多いのは④。
その理由を、新井氏は「愛称」というちょっと難しい単語を読み飛ばしているから、と分析しています。
なぜ、こんなことになったのかは、図3‐3の項目特性図を見ればわかります。読解能力が3、つまりほぼ真ん中辺りまで、選択肢④のほうが正解の①より多く選ばれていることがわかります。つまり、「Alexandraの愛称は女性である」が正解だと考える子が案外いるのです。
 
どうしてでしょう。おそらく「愛称」という言葉を知らないからです。そして、知らない単語が出てくると、それを飛ばして読むという読みの習性があるためです。
「読み飛ばし」は、誤った結論に達する恐れがあり、正確な概念を得るためには、やってはいけない行為です。
新しい概念を獲得するために必要なのは「速読」ではありません。良書をじっくりと「味わいながら読む」ことです。
 

2.辞書を引く

すると、当然「知らない言葉」も数多く出現します。
例えば以下のような言葉です。
贅言
畢竟
諧謔
捲土重来
蓋然性
弥縫
瀰漫
膾炙
夭折
規矩
微醺
豪放磊落
斟酌
忸怩
形而上学
閑話休題
これらは書籍から獲得した語彙の一部ですが、書籍の言葉を一つ一つを調べていくことで、語彙は飛躍的に増やせます。
最近ではKindleなどの電子リーダーには辞書機能があるので、なぞるだけで意味を知ることができますので、調べるのもかんたんです。
 
あるいはスマートフォンに「広辞苑」や「日本国語大辞典」などを入れておいてもいいでしょう。
私はコンサルタント時代に、入社直後に「広辞苑を買え」と言われました。
それは、コンセプト、つまり言葉を大事にする文化があったからです。
ちょっとお高いですが、物書きであれば、オンライン辞書などに頼らず、辞書を引くのは当たり前の行為です。
 

3.アウトプットする

そうして得られた言葉を、「アウトプット」してみましょう。
テーマによっては、上のような言葉のほうが「ぴったりはまるコンセプト」というケースが良くあります。
 
例えば「蓋然性」という言葉。
この正確な意味をを知ってから、私は「可能性」という言葉を使う場面と「蓋然性」という言葉を使う場面とを明確にわけることにしました。
 
端的に言えば、可能性は「ある」か「ない」かで判断される状況に使います。
使い方は「可能性はある」「可能性はない」です。
それに対して蓋然性は「高い」「低い」という程度を判断できる状況に使います。「確率」とだいたい同じような意味です。
使い方は「蓋然性は高い」「蓋然性は低い」です。
 
一般的には「可能性は高い」でも通じます。
しかし、ものを書く人間としてはより正確に「蓋然性」という言葉を使うべきだと、私は考えています。
 

つまり「本」と「辞書」に投資を惜しまない

現在、記事をかくときには、一記事に付き約1〜2冊の本を買うようにしています。
それは前にも書きましたが、「知のフチはどこにあるのか」を知るためです。
 
雑誌、テレビ、ウェブでは決して語彙は増やせません。
書籍と、そしてできれば辞書を買い、言葉を探索しましょう。
それがライターとして自分が書くものに持つ、最低限の矜持を支えるものであると、私は思います。

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