「浅い記事」をレベルアップさせる技術

このコンテンツは有料note「webライターとメディア運営者の、実践的教科書(安達裕哉著)」より転載しています。


世の中には「浅い記事」があります。
読者からすればなにか腑に落ちない。違和感がある。賛同しにくい。
「へー。」で終わり、感情が動かない。それが「浅い記事」です。
 
例えば、あまり記事を書き慣れていない人が書いたり、思ったことをそのまま書いたりすると、こんな具合になることが多いです。
タイトル:職場での「言い分け」はダメ。
 
きのう久々に見ちゃったんです。
「言い分け」ばかりする人。
私、そういう人が嫌いです。
 
言い分けするくらいなら、少しでも努力して、頑張ってほしい。
でも、そういう人に限って、他責にするのがうまいんです。
「上司が悪い」
「資料が悪い」
「時間がないのが悪い」
ばっかり。
私が聞きたいのはそんな話じゃなくて、「次はどうすればできるか」です。
 
そもそも、言い分けする人は、だいたい仕事もできないことが多いです。
私が新人だった頃は、それこそ先輩にこっぴどく叱られたこともあります。
 
だからきのうは、彼をしかりました。
彼の将来のために、思い切りしかりました。
 
厳しい人は、今恨まれても、あとになって必ず感謝されます。
いつか彼も、わかってくれるでしょう!
「主張を見る限りでは、全くの見当外れでもないのでは」と思う方もいるかも知れません。
逆に「主張がまずいのでは?」という方もいるでしょう。
 
でも、ここでのポイントは「主張の内容」と「記事の浅さ」の関係がないことです。
この記事の「浅く見える」原因は、主張とは全く関係ない、テクニカルな部分にあります。
 
一体なにが「浅い」原因なのでしょう。
理由は一つです。
「読者は著者と同じようには感じない」という大前提を、著者が忘れているからです。
平たく言うと「乱暴な記事」なのです。
 
とはいえ、「浅い記事」の原因を抽象的に論じても、今ひとつピンとこない方も多いでしょう。
そこで、上の記事にどのように手を入れなければならないか、順を追って見ていきます。
 

◯冒頭で論じようとするテーマについて定義する

まず最初のパラグラフ。
きのう久々に見ちゃったんです。
「言い分け」ばかりする人。
私、そういう人が嫌いです。
この記事の主題は「言い分けしてはならない」なので、最初に結論を持ってきているのは良い書き方です。
 
しかし、文全体に大きな問題点がいくつかあります。
まず1つ目の問題は「言い分け」という言葉をきちんと定義しないまま使っている点です。
実は、記事の導入部では「読者は著者と同じようには感じない」という大前提に基づいて、「議論の対象を読者と共有」しなければなりません。
 
言葉には様々なイメージがあります。
例えば、「言い分け」という言葉。
仕事ではよく、ネガティブなイメージを伴う語として使われます。
しかし、広辞苑で調べてみると、「言い訳」という言葉に、ネガティブなイメージはそれほどないのです。
したがって、「読者は著者と同じようには感じない」という前提にしたがって、最初に「言い分け」のイメージを読者と共有するための背景が必要です。
例えばこのような具合に追記します。
「言い分け」は、多くの場合、職場では好まれません。
自分の非を認めず、弁解に終止する姿が見苦しいとされるからです。
 
でも、きのう久々に見ちゃったんです。
「言い分け」ばかりする人。
ここでは「職場での言い分け」=「自分の非を認めず、弁解に終止する」という定義を行っています。
この一文を加えるだけで、「言い分け」についてのイメージの共有が大きく進みます。
「論じようとするテーマについて、詳細な定義を行う」のは、物書きとしては当然の行為です。
 
なお、本記事においても、冒頭に
世の中には「浅く見える記事」があります。
 
読者からすればなにか腑に落ちない。違和感がある。賛同しにくい。
「へー。」で終わり、感情が動かない。それが「浅い記事」です。
と言葉の定義とイメージの共有を行う文を一文、入れています。
また、実例や、エピソードを加えれば、更にイメージの共有が進むので、おすすめです。
 

◯安易に「好き嫌い」などの感情を表明しない

2つ目の問題点は「嫌い」という言葉です。

私、そういう人が嫌いです。

この言葉を安易に使ってしまうと、それだけで記事が幼稚に見えます。
なぜでしょうか。
 
それは、くどいようですが「読者は著者と同じようには感じない」からです。「私は嫌いです」と言われても、読者からすれば「へー。」でおしまいです。
だから「嫌い」というにしても、その理由を懇切丁寧に問いてあげないと、読者には全く理解されません。
 
したがって、記事では極力、好き嫌いを含む、感情の判断は読者に委ねるべきです。
好き嫌いが多用されると、読者の多くは「この人、好き嫌いが多くて身勝手だな」という印象を受けます。
結果として、読者の多くは、著者の感情についてこれず、読むのを辞めてしまいます。
例えば、以下に太字で示したように、例文には「好き嫌い」が多く、あまり良くありません。
でも、きのう久々に見ちゃったんです。
「言い分け」ばかりする人。
私、そういう人が嫌いです。
 
言い分けするくらいなら、少しでも努力して、頑張ってほしい(好き)。
でも、そういう人に限って、他責にするのがうまい(嫌い)んです。
「上司が悪い」
「資料が悪い」
「時間がないのが悪い」
ばっかり。
私が聞きたいのはそんな話じゃなくて(嫌い)、「次はどうすればできるか」です。
好き嫌いは、ここぞという場所だけで使いますので、記事中では滅多に出してはいけません。
記述は、出来得る限り客観的事実を中心に据えます。
「こんなことあった」
「こんなことも」
「こんなことも」
そして「嫌い」と言いたいなら、最後に少しだけ「それは死ぬほど嫌い」と言う。
 
それで読者はカタルシスを得る。
必殺技は取っておきましょう。
よって、次のように修正します。
でも、きのう久々に見ちゃったんです。
「言い分け」ばかりする人。
 
彼は「上司が悪い」「資料が悪い」「時間がないのが悪い」と繰り返していました。(好き嫌いは読者に委ねる)
 
私は困りました。
別に彼を責めてはいないのです。(好き嫌いは読者に委ねる)
「次はどうすればできるか」をきちんと彼と話したいだけです。(好き嫌いは読者に委ねる)
 
「感情的な描写が多すぎると文章がダメになる」ので、好き嫌いも含め、著者の感情的な描写はできるだけ控えます。
これは、本多勝一の「日本語の作文技術」においても、「自分が笑ってはいけない」という形で紹介されています。
おもしろいと読者が思うのは、描かれている内容自体がおもしろいときであって、書く人がいかにおもしろく思っているかを知っておもしろがるのではない。
 
美しい風景を描いて、読者もまた美しいと思うためには、筆者がいくら「美しい」と感嘆しても何もならない。
美しい風景自体は決して「美しい」とは叫んでいないのだ。
 
その風景を筆者が美しいと感じた素材そのものを、読者もまた追体験できるように再現するのでなければならない。
 
なお、本多勝一は、「自分が笑っていない」文章の例として、井伏鱒二を取り上げています。
反対の例をあげよう。井伏鱒二の『白毛』という作品は次のような書き出しで始まる。
 
 
私の頭の髪はこのごろ白毛が増え、顱頂部がすこし薄くなつてゐるが、後頭部は毛が濃い上にばりばりするほど硬いのである。
毛の太さも、後頭部の毛は額上の毛よりも三割がた太いやうである。
横鬢の毛はその中間の太さである。
 
荻窪八丁通りの太陽堂釣具店主人の鑑定によると、私の白毛はテグス糸の四毛ぐらゐの太さである。
しかし太陽堂釣具店主人は、まだ私の白毛を抜いたり手にとつて見たりしたのではない。ちよつと見ただけの、粗笨な鑑定によるものである。
 
この釣具店の常連の一人である魚キンさんといふ魚屋の主人は、私の白毛を抜きとり本当のテグスと比較して、白毛の太さを綿密にしらべてくれた。キンさんは虫眼鏡まで出して来てしらべた。
 
それによると、私の後頭部の白毛はテグス四毛半の太さで、横鬢の白毛は四毛の太さである。額上の白毛は正確に三毛の太さである。
これはオールバックに伸ばしてあるために、釣りの素人の目には本当の三毛のテグスと見分けがつきかねる。
 

◯予想される読者からの反論には先回りする

3つ目の問題点は「読者との対話を怠っている」ことです。
繰り返しますが、「読者は著者と同じようには感じない」ので、読者との対話が足りないと「安易だな」という印象を与えてしまいます。
 
例えば以下のパートでは、著者の思いが綴られていますが、一方的に著者の思い込みを綴っているだけです。だから「浅い」。
そもそも、言い分けする人は、だいたい仕事もできないことが多いです。
私が新人だった頃は、それこそ先輩にこっぴどく叱られたこともあります。(思い込み)
 
だからきのうは、彼をしかりました。
彼の将来のために、思い切りしかりました。(思い込み)
厳しい人は、今恨まれても、あとになって必ず感謝されます。(思い込み)
 
これを修正するには、「予想される読者からの反論に先回りする」というテクニックを使います。
そもそも、ミスをしたのに自分の非を認めない人は、だいたい仕事もできないことが多いです。
 
「そんなことはない」という方もいるかも知れません。(先回り)
でも「ミス」は事実です。「事実からスタートする」のが、トラブルへの対処には必ず必要ではないでしょうか。
 
 
私が新人だった頃は、それこそ先輩にこっぴどく叱られたこともあります。
 
ひどい先輩だ、と思うかも知れません。(先回り)
でも、先輩は先輩なりに、叱る理由はあったのです。
 
それは単純に「言った言わない」の話でした。
お客さんは「見てない」と言いました。
当然わたしは「メールを送った」と先輩に主張しました。
 
先輩は言いました。
「あなたの仕事は、メールを送ることではなく、お客さんに知らせることじゃないのか。」
私はそれでも納得がいきませんでした。
 
でも、もちろん後でそれは間違いだったとわかりました。
後日、私自身が別の人から
「メール送ったよ?見てないの?見てないあなたが悪くない?」
と言われて困ったからです。
 
 
だからきのうは、彼をしかりました。
彼の将来のために、思い切りしかりました。
 
もちろん、叱られるのは誰だって嫌ですよね。(先回り)
今どきは「厳しさ」が好まれないとも聞きます。(先回り)
 
でも、「厳しくしてくれた人」って、結局長期的にはありがたく感じることも多いのではないか、とも思っています。
読者が記事を読んで持つだろう意見や感情を、ひとつひとつ丁寧に反論して潰していくことが、記事の「説得力」につながるのです。
 

◯提案する

さて、4つ目の問題点です。

いつか彼も、わかってくれるでしょう!

この締めは、好意的に解釈しても稚拙に見えます。
なぜなら「言い分けしてはならない」と言ったことに対して、その解決策に触れていないからです。
課題を指摘して、ひとり悦に入るだけでは、良い記事とは言えません。
記事を読んでくれた読者に何かを持って帰ってもらわなくてはならない。
それは「セミナー」などと同じことです。
したがって、最後の締めは、以下のように追記します。
そしてなにより、「言い分け」って、上司の側にも問題があることも。(先回り)
 
そういう意味で、彼に対しては、今後叱るだけではなく、
「言い分けしないことの重要性」を別の形でもなんとかして伝えたいと思っています。(提案)
 
特に、これに関して最近気になるキーワードに「心理的安全性」っていうのがあります。
もしかしたら、今後彼が言い分けを始めたら
「あ、ごめん、そんな事言わせてしまって。」と、上司の方から逆に歩み寄ったほうが良いのかも知れません。(提案)
 

まとめ

では、編集前と編集後の比較をしてみます。
【編集前】
 
きのう久々に見ちゃったんです。
「言い分け」ばかりする人。
私、そういう人が嫌いです。
 
言い分けするくらいなら、少しでも努力して、頑張ってほしい。
でも、そういう人に限って、他責にするのがうまいんです。
「上司が悪い」
「資料が悪い」
「時間がないのが悪い」
ばっかり。
私が聞きたいのはそんな話じゃなくて、「次はどうすればできるか」です。
 
そもそも、言い分けする人は、だいたい仕事もできないことが多いです。
私が新人だった頃は、それこそ先輩にこっぴどく叱られたこともあります。
 
だからきのうは、彼をしかりました。
彼の将来のために、思い切りしかりました。
 
厳しい人は、今恨まれても、あとになって必ず感謝されます。
いつか彼も、わかってくれるでしょう!
【編集後】
 
「言い分け」は、多くの場合、職場では好まれません。
自分の非を認めず、弁解に終止する姿が見苦しいとされるからです。
 
でも、きのう久々に見ちゃったんです。
「言い分け」ばかりする人。
 
彼は「上司が悪い」「資料が悪い」「時間がないのが悪い」と繰り返していました。
 
私は困りました。
別に彼を責めてはいないのです。
「次はどうすればできるか」をきちんと彼と話したいだけです。
 
そもそも、ミスをしたのに自分の非を認めない人は、だいたい仕事もできないことが多いです。
 
「そんなことはない」という方もいるかも知れません。
でも「ミス」は事実です。
「事実からスタートする」のが、正しい対処には必ず必要ではないでしょうか。
 
実際、私が新人だった頃は、それこそ先輩にこっぴどく叱られたこともあります。
 
ひどい先輩だ、と思うかも知れません。
でも、先輩は先輩なりに、叱る理由はあったのです。
 
それは単純に「言った言わない」の話でした。
お客さんは「見てない」と言いました。
当然わたしは「メールを送った」と先輩に主張しました。
 
先輩は言いました。
「あなたの仕事は、メールを送ることではなく、お客さんに知らせることじゃないのか。」
私はそれでも納得がいきませんでした。
 
でも、もちろん後でそれは間違いだったとわかりました。
後日、私自身が別の人から
「メール送ったよ?見てないの?見てないあなたが悪くない?」
と言われて困ったからです。
 
 
だからきのうは、彼をしかりました。
彼の将来のために、思い切りしかりました。
 
 
もちろん、叱られるのは誰だって嫌ですよね。
今どきは「厳しさ」が好まれないとも聞きます。
 
でも、「厳しくしてくれた人」って、結局長期的にはありがたく感じることも多いのではないか、とも思っています。
 
 
そしてなにより、「言い分け」って、上司の側にも問題があることも。
 
そういう意味で、彼に対しては、今後叱るだけではなく、
「言い分けしないことの重要性」を別の形でもなんとかして伝えたいと思っています。
 
特に、これに関して最近気になるキーワードに「心理的安全性」っていうのがあります。
 
もしかしたら、今後彼が言い分けを始めたら
「あ、ごめん、そんな事言わせてしまって。」と、上司の方から逆に歩み寄ったほうが良いのかも知れません。
 
「読者は著者と同じようには感じない」という大前提さえ抑えておけば、かなり稚拙な記事であっても、少し手を入れるだけで受ける印象がかなり変わることがよくわかるのではないかとおもいます。
 
汎用的なテクニックですので、ぜひ試してみてください。
◯冒頭でテーマが定義されているか?
◯好き嫌いなどの感情が多すぎないか?
◯読者の反論に先回りしているか?
◯提案しているか?
 

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(2024/2/22更新)