ライターはなぜ「Google検索」を使うべきではないのか。

このコンテンツは有料note「webライターとメディア運営者の、実践的教科書(安達裕哉著)」より転載しています。


結論から言うと、Google検索にはすでに「お行儀が良くて」「エビデンスがあり」「正しい意見」しか出てこないからだ。
そんな意見はライターにとっては「毒にも薬にもならない」。
要は時間の無駄だ。
以下でそれを論じる。
 
さて、Googleの検索精度に疑念を抱く人が増えていると感じる。

 
「最近の若者はインスタやメルカリ、Youtubeで検索する」というの、ようやく意味がわかった。 ごくごく一般的なことをあらためてGoogleでしらべてみると、ほとんど無意味なアフィブログか情報サイトしかヒットしない。SNSで検索したほうが欲しい情報が手に入る。
 
確かに数年ほど前から「Googleつかえねー」といった話はあった。
しかしそれは、ポジショントーク的なものも多かったので、「そうは思わない」と感じる人も多かったのではないだろうか。
だが最近は、本当に「ライターにとっての」Google検索の精度は、本当に下がっていると感じる。
 
例えば「ググったらカス」というワードをGoogle検索してみる。
記事を書くための材料として「どのような話題があるのか」を調べるためだ。
下の画像がその検索結果だ。
注目すべきは「ドメイン」だ。
一位がcnetの記事。正直に言えば全く面白くない。

Googleがいかにネットコンテンツの評価モデルを改良しようとも、実際に人間が判断しているわけではない。Googleの評価モデルで良いスコアを出せるコンテンツを作れば、たとえコンテンツとしての品質が低かったとしても検索で上位にくる。

今更こんなことを言われても、という感想だが、実は当然だ。
これは2017年の記事なのだ。
そして二位がnote、三位はTwitterのハッシュタグ、四位が個人ブログ、五位がwedge、六位はニコニコニュース。
上位には、ほぼ「プラットフォーム」もしくは「大手メディア」の記事が並ぶ。
 
他にも様々なキーワードを調べてみたが、結局の所現在のGoogleの検索順位の表示は、とにかく
「マスメディア優先」「企業サイト優先」
となっていることがわかる。
 
だから「ググったらカス」「就活 恨み」「コロナ 旅行いきたい」など、個人の意見が強く出るようなキーワードで検索すると、大手メディアの毒にも薬にもならない記事ばかりが表示される。
 
しかし、そういったキーワードで検索する時は、別に「バランスのとれた意見」「柔軟な意見」「正しい意見」を見たいわけじゃない。もっと、個人の心情を吐露した、心の叫びを知りたいのだ。
だから、我々に残された道は、Twitterなどの別のプラットフォームで検索することだ。
「ググったらカス」
「就活 恨み」
これを見たら、ひと目で「こちらのほうが知りたいことが結果に出ている」と感じるだろう。
 

Googleは「辞書化」「テレビ化」している

ここから私が引き出した結論は、Googleが検索の上位に掲載するコンテンツは、ますます「辞書化」「テレビ化」しているのではないかという仮説だ。
単純に言うとそれは
「ポリティカル・コレクトネスが担保されていること」
「エビデンスのあること」
「権威があること」
 

が重要であり、

「一個人の思い込み」
「主観」
「差別的であること」
が排除される世界だ。それを私は「辞書化」「テレビ化」とみなしている。
 
ただ、これは当然の進化でもある。
Googleが検索上位に「主観」や「差別的な記事」を掲載していたら、批判は免れないだろうし、実際にwelq問題では権威性の低い情報を検索上位に垂れ流していたから批判されたのだ。
 
Googleはすでにテレビ局と同じように、「インフラ」である。だから、間違ってはいけないし、「政治的に正しい記事」を上位にランクしなければならない。
だから、そういうものを期待していると「Googleつかえねー」となる。
Googleは「データ」「エビデンス」「答え」を示してはくれる。だが「思考」を示してはくれない。
 

記事の厚みは「思考」にある

つい先日こんなブログを読んだ。
ブックマークも、ツイートも、フェイスブックのシェアもゼロ。
おそらく、ほとんど読まれていない記事だろう。
 
しかし、書いてあることは非常に面白い。特にこの一言。

私はポリコレについて「人間は差別的な思考なしに生きていけないのに、そんなに現実から目を背け続けて疲れないんだろうか?」という立場をとってきましたが、友人とZoom飲みをしていたときに「ヴィーガンみたいなものだよね」という一言を聞いてからは、「彼ら向けの娯楽があってもいいよな」と理解を示せるようになりました。

主観に満ちた記事だが、これは「思考」の幅を広げてくれる。
「差別的な思考なしに生きていけない」という主張。
「ポリコレ=ヴィーガン」という気づき。
 
そこから連想される
「ポリコレニュース=娯楽」
「ヴィーガン=娯楽」
という連結。
これが読めたことで、頭の中には「新しい知識の連結」ができる。
 
重要なのは、知識の連結を得るためには「正しい意見」ばかり見てもダメだということだ。
人間は、間違っていて、主観が強く、差別的な意見を見て初めて、自分の立ち位置がわかるのだ。
 
例えば、ポリコレ的には誰もが「フェイクニュース」には目くじらを立てる。
しかし、ポリコレニュースも似たようなものではないか。
例えば「ポリコレニュース=娯楽」と考えれば、「フェイクニュース=娯楽」という見方もできるからだ。
 
そしてこれは、新しい切り口として記事のテーマにもなりそうだ。
実際「フェイクニュースは娯楽」というテーマで記事を書いた人はいない。
「フェイクニュースを根絶するのは難しい。なぜならそれは「娯楽」だからだ。」というテーマは、そこそこ読まれるのではないかと思う。
 

無難な意見=思考停止

少し前に
「なぜ企業のブログはつまらないのか」
という記事を書いたことがある。
答えはシンプルで
「批判されたくないので、無難なことしか書かないから」だ。
 
だが、無難というのは、要するに「思考停止」のことだ。
なぜなら、無難な意見は「正しそう」というだけで、
 
「なぜそれが正しいといい切れるのか」
「現実はもっと複雑では」
「だから何?」
という質問に答えることができない。
 
例えば今回のコロナウイルス禍で「人命は最優先」という方が結構いる。
 
そりゃそうだ。
でも、それを言われて思うのは
「そんなことは誰でも知っている。で、どうすんの?」

だけだろう。

今求められているのは、思い切った財政措置も行い、憲法理念に基づき、国民のいのち、暮らしを最優先する政治の実現です。

 
何の解決にもならず、「正しそうな意見」だけを放言する思考停止ライターは、滅んだほうがいい。
少なくとも私は時間の無駄なので読まない。
だが、Googleが検索の上位に持ってくるのは、このような記事ばかりなのだ。
 

AIは「意味」を理解しない

結局、私は「Googleに期待しすぎていた」のだと思う。
Googleは人の思考を先取りし、その人の求めるものを最適に提示してくれる、と。
でも、それは嘘だった。
AI vs 教科書が読めない子どもたち にある通り、AIは「意味」を理解しない。
コンピューターには意味が理解できません。それが、真の意味でのAIが実現できない大きな壁になっています。東ロボくんが東大合格圏内に近づけない理由もそこにあります。
 
もちろん、手をこまねいているわけではありません。AIの研究者たちは、意味がわからないのは仕方がないとしても、AIがなんとか意味がわかっているかのように振る舞えるようにするために不断の努力を積み重ねてきました。
 
その一つの結果が、Siriに代表される音声認識応答システムです。では、Siriはどのくらい賢いのでしょう。
 
たとえば、「この近くのおいしいイタリア料理の店は」と、訊いてみてください。Siriは、GPSで位置情報を判断して、近くにある「おいしい」イタリア料理の店を推薦してくれるはずです。でも、それは話のポイントではありません。次に「この近くのまずいイタリア料理の店は」と訊ねてみてください。すると、似たような店を推薦します。評判の悪い店から順に表示することはありません。Siriには「まずい」と「おいしい」の違いがわからないのです。
さらに、「この近くのイタリア料理以外のレストランは」と訊いてみてください。また、似たような店を推薦します。つまり「以外の」ということがわからないということです。
 
誤解のないように申し上げますが、私はSiriの名誉を傷つけようと思っているわけではありません。東ロボくんも暑いと寒いの違いがわかりません。
 
読者のみなさんもお気づきのように、このような場合、悪いのはSiriではなく、「イタリア料理以外」などという紛らわしいことを訊いた人間のほうです。
ちょっと気が利いた人なら、「イタリア料理以外」ではなく「和食」とか「中華」と話しかければよかったのです。上手に使いこなせば、Siriは十二分にその実力を発揮してくれます。少なくとも、以前のようにグルメ本やタウン情報誌を買ったり立ち読みしたりする必要はありません。
 
けれども、一方で、Siriの真の実力はお伝えしたいとも思うのです。AIが人間の仕事をすべて肩代わりする時代が来るとか、近い将来にシンギュラリティが到来するといった短絡的な予測や期待が的外れであることを知っていただくためです。
意味が理解できなければ、当然、記事の質の判断は「被リンク」や「キーワードの出現回数」、あるいは「権威」に頼ることになる。
 
だが、それがGoogleの限界だ。
個人のブログのように「被リンクなし」「キーワード無視」「権威なし」、「でも鋭い感覚を持つ人」のアウトプットをGoogleは扱うことができない。
 
だから「Google検索は精度が悪い」と言われてしまう。
本来は、そういった思想の発掘は、Googleの役割ではないのだ。
 

プラットフォームに最適化するのではなく、プラットフォームを凌駕する

であれば、ライターは「プラットフォームに最適化」していても、埒が明かない。
なにせライターの武器は
「面白い思想が語れること」
「独自性の高いノウハウが語れること」
「物語を語れること」
などであって、Googleの記事の判断基準とは、全く別の方向を持つものだからだ。
 
所詮、プラットフォームの寿命は数十年だ。
Googleですら、このザマだ。もう少しで彼らの時代は終わる。
だが、「素晴らしいコンテンツ」は、百年、千年とプラットフォームに依存せず生き延びる。
 
だから、ライターはプラットフォームに最適化するのではなく、すべてのプラットフォームを同時に利用し、かつ「AIには理解できない」性質のコンテンツを作ることだけに注力すれば、必ずプラットフォームを凌駕できる。
「別に、Googleとか、Twitterとか、使えなくなっても問題ないよ。」
と言えるライターこそ、目指すべき到達点だ。

 

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(2024/2/22更新)

 

【著者プロフィール】

安達裕哉

元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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