このコンテンツは有料note「webライターとメディア運営者の、実践的教科書(安達裕哉著)」より転載しています。
ライターには大まかに2種類います。
外部の出来事に綿密な取材をしてから記事を書くタイプのライターと、取材はあくまで2次的なもので、「自分」を中心にエッセイ的な文章を書くタイプのライターです。
両方をこなす器用なタイプのライターもいますが、一般的に、この2つのタイプはあまり両立しません。
「外部の出来事」を表現するのと、「自分の中で考えたこと」を表現するのでは、異なった技能が必要だからです。
今回はその「取材記事」の技法を取り上げます。
ジャーナリストとライターのちがい
取材記事の技法を解説する前に、まず「ジャーナリスト」と「ライター」のちがいについて説明をしておかねばなりません。
この2つを混同している方も多いからです。
ジャーナリストは、広義ではライターに含まれますが、狭義ではマスメディアで報道のための記事を書く人を指します。
それ故に、記事は基本的に客観性、中立性、正確性などが求められ、また、書いた記事を取材対象からチェックされることもありません。
「報道」の役割は、公共の利益に資することでもあるからです。
しかし、それに対して狭義の「ライター」の仕事は、顧客の求めに応じて、適切な記事を提供することです。
したがって、発注者の意向があり、その発注者のメリットとなるように記事を書かねばなりません。
当然、発注者によるチェックを受けます。
客観性、中立性、正確性はもちろん重要ですが、「記事の発注者」の意向を無視して記事を作ることはできません。
これがライターの役割です。
「ライター」にとって取材記事の難易度は高い
こうした違いがあるがゆえに、「取材記事」を書くことについては、実はライターのほうが難しいことも多いのです。
ジャーナリストは事実を、ありのままに、メディアの編集方針に従って、報道することができます。
「何を取り上げて、何を取り上げないか」についても、書き手に権限があります。
それに対してライター側は、権限の範囲が狭く、利害関係者が多いため、複雑な調整が求められることも少なくありません。
ですから「取材記事なんて、簡単ですよ」というライターがいたら、それは間違いです。取材記事は、ある意味では、ジャーナリストよりもライターのほうが、遥かに難しいバランス感覚を要求されます。
それゆえにライターの書く「取材記事」には腕の差が出やすいのです。
「取材記事」を書くときに、ライターの腕が現れやすい場所はどこか。
1.情報密度
では具体的に、記事中で、ライターの腕が現れやすい場所はどこでしょう。
これについては、「つまらない取材記事」を見れば、一目瞭然です。
例えば、ほとんどのインタビュー記事は「つまらない記事」になりがちですが、それは構成が練られておらず、テンプレートに従って書いているものが多いからです。
例えば以下のようなテンプレートです。
タイトル:「〇〇(社名)の〇〇(人名)が語る、〇〇が〇〇の理由」
ー経歴を教えて下さい
ー今やっていることはなんですか?
ー大事にしている価値観はありますか?
ー今後、何を目標としていますか?
ー読者の皆さんへ一言お願いします
こういうのは「誰でも書けるつまらない記事」になりがちな構成です。
読む人も、業界の関係者だけ。
取り上げられているのが有名人でもない限り、ほとんど読まれません。
一体なぜでしょうか。
それは、「情報の密度が低い」からです。
と言うのも、会話が記述されているだけで「記事のテーマ」がよくわからないからです。
何となく取材をしていますが、テーマが決まっていないので「何が得られるのか?」が読者にとってわかりにくいのです。
映画や漫画、小説などのエンタテインメントにおいては、目的が隠されているところが「何が得られるのか?」への期待を高めるので良い場合もあります。
しかし、取材記事のように情報の受け渡しを目的としたコンテンツは、「何が得られるのか」を知るのに時間がかかるものほど、読む人が少なく、離脱が多くなります。
上にあげたような構成のインタビュー記事は、会話をそのまま記述すればするほど、どうしても冗長であるケースが多く、「で?結論は?」という読者を多く発生させてしまうのです。
もちろんその人をアピールしたい、偉い人であると見せたい、といったような「人にフォーカスしたい」という造り手側の論理もあるでしょう。
しかし、読み手にとってはそれらはどうでも良いことです。
2.エンタテインメント性
では2つ目の腕の差がでやすいポイントは何でしょう。
ダメな取材記事の代表例としては、情報を伝えることに特化してしまっている記事、あるいは特定の人物や会社を持ち上げたような提灯記事です。
腕を組んだ経営者やサービスの責任者の写真が出てくるようなやつですね。
つまらないので、読まれません。
ジャーナリストにはエンタテインメント性は不要ですが、ライターには「読者の時間をもらう」ために、必ずエンタテインメント性が求められます。
しかし、ここで一つの疑問が生まれます。
「エンタテインメント性」とは一体何か、という話です。
例えば「笑える記事」が並ぶことでしられている、「ロケットニュース24」です。確かにエンタテインメント性が高く、私もよく読んでいます。
しかし「笑えること」がエンタテインメントの本質なのでしょうか。
そうだとすると、「ビジネスで使うのは難しいのでは」と思われる方も多いのではないかと思います。
しかし、実際のところは、エンタテインメント性と「笑えること」とは異なります。
笑えることは、エンタテインメント性の一部に過ぎません。
ではエンタテインメント性を一言で表すと何でしょうか。
実は、それは「文化ギャップ」です。
読者が普段接している様々な文化や慣習、考え方と、大きく異なる物に触れたときに、人の感情は大きく動きます。それが、エンタテインメント性です。
例えば、少し前に書いた取材記事「アフリカの「若者の失業率60%」の国に行ったら、「日本人はよく働く」の意味がようやくわかった」という記事に関して考察してみます。
しかし、通常であれば、「ジブチの紹介をせよ」と言われたら、以下のような記事が多いと思います。
【こんな国あります!!世界の秘境】紅海に面した灼熱の国ジブチ
皆さんジブチという国を聞いたことがあるでしょうか?ジブチとは恐らく日本人の9割は知らないアフリカの小国。相当世界地図を見るのが好きでないとどこにあるかも分からないような、まさに秘境と呼べる国です。
こんな世界の果ての国に一体何があるんだと思われるかもしれませんが、辺境旅を求める人にとってジブチでの旅はきっと満足のいくものになるでしょう。混沌としたマーケットや、死海すら凌ぐ世界一の塩分濃度を誇るアッサル塩湖、そしてサンゴ礁が広がる美しい島…
ここでは実際にジブチへの渡航経験を持つ私がジブチの魅力をご紹介していきたいと思います。この記事を読んで少しでもジブチという国に興味を持っていただければ幸いです。
では、この差は何に起因するものなのでしょう。
それは、記事がフォーカスしているポイントのちがいです。
「灼熱の国ジブチ」の記事では、
・ジブチの気候風土
・ホテルの様子
・買い物の情報
・観光情報
などを載せていますが、「ジブチと日本の文化ギャップ」にはほとんどフォーカスしてはいません。
対照的に、私はジブチを「働かないのが普通」の文化の国であると位置づけ、日本人とのギャップにフォーカスして記事を書きました。
「ハリー・ポッター」が面白いのはなぜか?
魔法使いの文化と、マグル(人間)の文化のギャップを描いているからです。
「千と千尋の神隠し」がヒットしたのはなぜか?
八百万の神々が訪れる湯屋で、千尋と言う主人公が様々なギャップに対峙するからです。
「異世界転生モノ」が流行ったのは、なぜか?
「スター・ウォーズ」が我々をワクワクさせるのはなぜか?
日常の細かい文化ギャップの記述が、記事を面白くするのです。
非日常との出会いこそ、エンタテインメント性の本質です。
したがって、取材の中身が、会社紹介や人物紹介である場合も、記事のそもそもの企画を、「異文化とのギャップ」にフォーカスさせることが重要です。
ある会社の人が「当たり前」と思っていることが、べつの会社では「異常」だという事はよくあります。
ライターはそれをうまく引き出し、料理する腕が求められるのです。
3.材料の取捨選択
腕の悪いライターが書くと、「記憶に残らない取材記事」になりがちです。
その一つの理由は情報密度の低さですが、もう一つの理由が情報の取捨選択をやっていないことです。具体的に言えば「取材して得た材料」の、目的に対しての絞り込みが甘いのです。
例えば上のジブチの記事。
実は、取材では記事に掲載した量の40~50倍以上の情報を得ています。
それをかなり絞り込んで、4000文字前後の分量まで削減しています。
例えば自衛隊の基地の様子は、たった1枚の写真で軽く紹介をしているだけなのですがこの記事は「自衛隊のカルチャー」「基地の様子」を取り扱った記事ではないので、バッサリと情報をカットしています。
あるいは、ジブチの国策については、投資長官以外にも、通信大臣や、デジタル庁大臣、元在日ジブチ大使や、ジブチの港湾責任者、ジブチ銀行の頭取など、様々な人にインタビューをしましたが、それらも「記事の本筋」と関係がないので、すべて削除しました。
実は「情報の政治的な重要度」あるいは「権威」と言う意味では、圧倒的に上の写真に関するエピソードを記事化したほうが良いかもしれません。
しかし、私はジャーナリストではありません。
多くの読者にとってジブチの政治情勢と庶民のカルチャーと「より面白い話」がどちらかと言えば、ジブチの庶民や労働者のカルチャーの話でしょう。
したがって、記事の目的にそぐわない、こうした「権威付け」を目的としたような情報はすべて、カットしています。
この「思い切ったカット」が読者を退屈させないコツなのです。
4.ライターの主観
つまらない取材記事の特徴の一つは「ライターの余計な主観」が入っていることです。
特に、記事で取り上げられる人や会社を、ライターがヨイショする表現を入れると、とたんに記事がうさん臭くなります。
具体的には、以下のような表現です。
「活躍している」
「素晴らしい」
「大変驚いた」
「深く同意/納得した」
「成功している」
「勢いのある」
「感動した」
こうした表現を、ライターは記事の中で使うべきではありません。
なぜでしょうか。
一言でいえば、これらはすべて「余計なお世話」だからです。
活躍しているかどうかを判断するのは、読者です。
素晴らしいと感じるのは、読者です。
驚くのは、読者です。
同意するのも読者で、成功していると思うのも読者です。
つまりエッセイなどと異なり、取材記事は「事実」を並べることで、「活躍している」と言わずとも、活躍していると読者に感じさせることが、ライターの腕の見せ所なのです。
にもかかわらず、ライターが「活躍している」などと書けば、これは提灯記事である、興ざめだ、と読者は感じます。
これは、グルメレビューでも同様で、グルメレビューでは「おいしい」と書いてはいけません。
もちろんそれを分かったうえで、「おいしい」という表現をあえて使う、という事はありますが、「おいしい」と表現をせずに、事実を並べて、どのように「おいしそうだ」と読者に感じさせるかが、ライターの腕なのです。
5.取材対象の言いたいことと、読者の読みたいことの両立
最も悩むのが、「取材対象の言いたいこと」と「読者の読みたいこと」が異なる時です。
これはジャーナリストであれば、ある意味では無視してしまって構わない(報道の自由)のですが、ライターではそうはいきません。
とくに取材対象=顧客の場合、記事に対して細かく修正依頼がつくときがあります。
これはライターが「顧客からお金をもらって書いている」以上、避けることのできない制約です。
ところが修正依頼の内容を見ると、「この内容では読者は全く面白いと感じない」という状況が良くあるのです。
もちろんライターとしては、「クソつまらない記事になってしまいますよ」と言いたいのですが、様々なしがらみから、「ストレートに面白いことが言えない」と言う時も多々あります。
そんな時でも、腕のいいライターは「顧客の言いたいことと、読者の読みたいことの両立」を目指します。
では具体的に、どのようにして両立を目指すのでしょう。
その秘訣は「表現」にあります。
表現を変えれば、同じことを述べていても、顧客や読者に与える印象は大きく異なります。
例えば、取材対象者にとって不利な情報、
「業績が悪い」
「能力が低い」
「人気がない」
等の情報は、取材対象者にしてみれば、できれば取り上げられたくない情報です。ですからこれをそのまま記事に設定すれば、間違いなく「それは書かないでくれ」と注文がつくでしょう。
しかし、読者は、普段見ることのできない、そうした情報にこそ価値を感じます。そこでライターは、「業績が悪い」の表現を変換します。
「投資を加速している」
「千載一遇のチャンス」
「リストラの苦難を乗り越える」
など、テーマ次第では、業績悪化を取り扱う方法はいくらでもあります。
もちろんこれは、企画段階で、何を書くべきで、何を書くべきではないかを決めておくことが前提です。
しかし、顧客の中には取り決めをしておいても、「文章となる」と、突然表現することにしり込みをしてしまう人々もいます。
そのような場合であっても、腕の良いライターは、粘り強く顧客に対して説明と交渉を行うことで、「両立」をあきらめないのです。
以上が、「取材記事を書く時のウデ」が顕著に表れる部分でした。
ご参考としていただければ幸いです。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。
◯X:安達裕哉
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