webメディア運営というのは、突き詰めて言うと「良い記事を作ること」にあり、それ以外の要素は全部オマケ。

このコンテンツは有料note「webライターとメディア運営者の、実践的教科書(安達裕哉著)」より転載しています。


あまり表には出ませんが、私は、企業が運営するwebメディアの課題、
例えば
「アクセスが増えない」
「問い合わせが増えない」

「記事がバズらない」

といったことを解決する会社を経営しています。

 

もちろん、これが可能なのは、自分たちでBooks&Appsというwebメディアを運営し、様々な施策を実践しているからです。

 

サイトをデザインし、制作し、ライターを探し、記事を書き、SNSを駆使し、検索エンジンからの流入を増やし、ファンの方を楽しませ、メルマガを運営し、セミナーをやり、場合によっては広告を打つ。
そうした全ての活動があって、初めてwebメディアはうまくいくのです。

 

そういう意味では、メディア運営というのは、起業や営業と同じく、総合技術です。
決して、
「検索エンジン対策すればいい」とか
「毎日書けばいい」とか
「ユーザビリティを上げれば良い」とか
「SNSを運営すれば良い」とか
そういった「特効薬的なもの」があり、それさえやればガンガン集客できて、メディアが大きくなっていく、という話は、全部ウソです。
短期的に効果が出たように見えても、長続きはしません。むしろ評判を落とすことすらあります。
「起業は◯◯すればいい」なんて都合のいい話、信じないですよね?
我々はそれを身を持って知っています。

 

ただ、もちろん各種の施策には「重要度」が存在しています。
つまり「上に上げた施策の中で、何が重要なの?」と聞かれたら、私は間違いなく「質の高い記事を書くこと」と言うでしょう。

 

webサイトは必ずしも自分たちで作る必要はありません。
メディアは、私が今この文章を載せているnoteでも十分始めることができます。
SNSの運用も、個人でやれる程度のことで十分です。
検索エンジン対策なんて、SEOの専門家が「Googleのことを忘れろ」
と言っているくらいで、「多少気にする」程度で十分です。
所詮、Googleの反応は見えないのです。SEOの専門家たちが言っていることも、突き詰めていえば「憶測」に過ぎません。

 

ところが「記事の質」については妥協は許されません。
読者の反応は、即時、ダイレクト、そして容赦がないのです。
面白ければどんなマイナーなサイトに掲載されても、いずれは誰かの目に止まります。
逆につまらなければ大きなサイトの目立つ位置に掲載されていたとしても、大してビューを取れません。
いや、見られないだけならまだ良い方で、記事によっては、ライターは読者から
「つまんね」
「ゴミ記事」
「頭おかしい」
「死ね」
などと言われるのです。
つまり究極の成果主義の世界、一番厳しい試練に晒されるのが「記事の作成」で、それ以外の要素はオマケです。

 

そういう意味では「webライター」は、大きなリスクと向き合う、シビアな世界に生きています。
記事が読まれない理由を、決して誰のせいにもできないからです。
サイト制作の専門家は、記事が読まれない理由を「記事の質」のせいにできます。
SEOの専門家も、記事が読まれない理由を「記事の質」のせいにできます。
SNSの専門家も、記事が読まれない理由を「記事の質」のせいにできます。
彼らは決して「自分のせいです」とは言わないし、本質的には言えない。
それは仕方ありません。本当にそうなのですから。

 

でも、ライターだけは唯一、記事が読まれない理由を他人のせいにできない。読まれないのは、どう言い訳しても「100%」自分の責任です。

 

だから私は自分でライターとして書くことをやめません。
ビューが出ないとき。
「あー、記事の質が低いですねー」
とか、他人事のようにいう、マーケターではなく、
「私の書いた記事がつまらないので、アクセスが低いのです。申し訳ありません」と言わなくてはいけないと思っています。

 

話がそれました。
裏を返せば、webメディアは一人でも「質の高い記事が書ける人」がそこにいれば、成立してしまうのです。
個人のブログが、企業が運営するメディアに、しばしばアクセス数で勝ってしまうのは、このような理由からです。

 

事実、コンテンツマーケティングの第一人者であるアンディ・クレストディナ氏も、次のように述べています。
良質なコンテンツ作りにだけ投資しよう、と。

 

しかし一体、「質の高い記事を書くこと」とはどういうことなのでしょう。
ここは突き詰めて考えなければなりません。

 

そこで、もう少し解像度を上げてみることにしましょう。

「質の高い記事を書くこと」とはどういうことか

私の父は、フリーランスの放送作家でした。
そして、私の記憶の中の父はいつも、「視聴率」を気にしていました。
昨日の番組は良くなかった、今日の特番は20%行った、
夜仕事をして、朝家に戻ってくるのですが、そんな話ばかりしていました。

 

私は一度、彼に聞いたことがあります。
「視聴率って、そんなに大事なの?」と。
彼は言いました。
「大事だよ。視聴率が低いと、仕事がもらえなくなる。仕事がもらえなくなると、ご飯が食べられなくなる。」

 

「視聴率が低いと、ご飯が食べられない」
子供心に、その話は重くのしかかりました。

 

つまり「文章」の質は、究極的には「見られたか」「読まれたか」で判断される。それがプロが受ける評価です。

 

そして彼は、文章を書く上で一つ重要なことを教えてくれました。
私が小学校の宿題の定番、「作文」で苦しんでいたときのことです。
「作文が苦手なのか」と、うなっていた私を見た父は言いました。
当時、私は作文がどうしようもないほど苦手で、書き出しの3文字

 

ぼ く は

 

を書いて、手が止まってしまっていました。
これについては昔バズった、しんざきさんの記事に同様の描写があります。
「なんの作文書かないといけないんだっけ?」
「運動会のふりかえり」

 

「書くの困ってる?」
「うん」

 

「次女ちゃん、何に一番困ってるかな」
「書くこと思いつかないの…」

 

「そっかー。運動会楽しかった?」
「楽しかった!」

 

「色々お話してくれたもんねー。覚えてる?」
「うん!」

 

「じゃあ、その楽しかったことを書けばいいんじゃないかな」
「けど何書けばいいか分かんないの」

 

子供だけではありません。
「何を書けばよいかよくわからない」という状態は、未だに私にもありますし、ブロガー、ライターの共通の永遠の悩みでしょう。
何を書けばよいかよくわからない、という状態は、「書く」以前の問題であり、こでは「文章術」なるものは無意味です。

 

しかしここで手を抜くことはできません。なぜなら記事のビューの上限を決めるのは記事のテーマ、すなわち「何を書くか」だからです。

 

では「何を書けばよいかわからない」ときに必要なのはなんでしょうか。上のしんざきさんは、「整理」と言っています。
子どもってまだ頭の中を整理するのが苦手なので、その「楽しかったこと」「話したいこと」が非常に曖昧模糊とした状態で頭に詰め込まれていて、カオスになっていたりするんです。

 

で、そのカオスな状態を、子どもは四捨五入して「書くこと思いつかない」「何書けばいいか分からない」って表現するんです。

 

こういう時必要なことは、「何があったかを思い出させる」ことではなく、「頭の中を整理させる」ことです。
しんざきさんが子供に対してやったことは、大人でも十分、ノウハウとして通用すると思います。(詳しくは記事を見てください)

 

ところで、私の父がとった方法についても書きたいと思います。

 

父は、筆が止まっている私にこう言いました。
「何について書くつもりなんだ。」
「先生が、さいきん、あったことについて、おもいだして書いて、って。」
「楽しかったこと、思い出せるか?」
「なかった……」
「書くのはお料理と同じで、材料を用意する必要があるんだよな。昨日あったことを書き出してみ。」
「学校に行って、給食をたべて、そうじをして、帰ってきて宿題をやって、ごはんをたべた。」
「学校に行って、何をした?」

「べんきょう。」

「何の?」
「さんすうと、こくご。あと図工と音楽。」
「さんすうで楽しいことあった?」
「さんすうセットをつかったのが楽しかった。」
「算数セット?」
「とけいとか、ブロックとか。」
「使ったことを思い出せる?」
「うん、まずブロックを使って◯◯をして、その後◯◯して……」
「そうそう、何書けばよいかわかんないときは、「一つのことを細かく思い出す」のが一番いいよ。で、思ったことをそのまま書いていく。」

 

「質が高い」=「解像度が高い」

要するに、父が私に伝えたかったのは、「作文」を書く材料を集めるためには、事物や出来事を見るときに、 解像度を高くする必要がある、ということです。
先程、このように書きました。
しかし一体、「質の高い記事を書くこと」とはどういうことなのでしょう。
ここは突き詰めて考えなければなりません。
 
そこで、もう少し解像度を上げてみることにしましょう。
上の文章こそ、「質の高い記事を書くこと」の本質です。
 
したがって、これをやりやすいのは、もちろん「当事者」です。
実際にあったこと、体験したこと、現場で深く思考したことをもとに、普通は考えないところまで、考えを進めること、これが「記事の質の高さ」の正体です。

 

文章力、文章術は「読みやすさ」や「伝わること」を目的としていますので、たしかに大事です。
しかし、もとの思考が浅ければ、いくら「読みやすさ」を追求しても、思考が浅いことが露呈するだけで、記事の質の向上には繋がりません。

 

むしろ、文章力や文章術そのものは、本職の編集者がいれば、その人にやってもらえばよいのです。
無理やり「文章をうまくなろう」なんて考えなくていい。時間の無駄です。
そういった仕事は「編集」にまかせてしまえばいいのです。
逆に編集は「文章を読みやすくする」はできますが、「考えを深める」はできません。ここはライターの領域です。

 

弊社では、様々な専門家の方に執筆をしてもらっています。
弁護士、税理士、コンサルタント、医師、物理学者、社会学者、経営者……
彼らは決して文章はうまくありません。
むしろ、普通は「下手」です。
しかし「下手」でよいのです。思考が深ければ。
編集次第で必ず面白い記事ができます。
そう言う意味で「ライター」と「編集」は二人三脚で良いと思います。

 

昔はもしかしたら、この関係が逆だったかもしれません。
「ライター」は文章術を持っている人。
「編集」が何を書くかを考える人。
そんな分担だったと、紙媒体の人から聞きます。
でも今は違います。
「ライター」こそ、素人には到達し得ない目線を持っている人。
そして、それを加工して読みやすくし、タイトルを付けて拡散するのは、「編集」の役割です。
いま、webメディアの運営は、「記事の質を高める」ために、かような思考の転換が、求められているのです。
(了)
 

 

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