「言語化スキル」の正体を、こっそりおしえます。

このコンテンツは有料note「webライターとメディア運営者の、実践的教科書(安達裕哉著)」より転載しています。


少し前に「言語化能力」について書きました。

今の世の中は、「言語化する能力」が高い人が、有利に事を運べる

とくに知的な仕事では、自分の思考を、他者に理解させ、そして動かす力が、とても重要だ。

10万回以上見られた好評の記事でした。

しかし実はこの記事、「言語化は大事」、「習慣として鍛えないと言語化能力は上がらない」と述べていますが、ではどうする、つまり「言語化能力を身につけるにはどうしたらいいのか」を深堀りしているわけではありません。

下も、前に書いた「言語化が素晴らしい」と評価していただいた記事です。


評価はとてもありがたいですが、では、この記事で述べられているような言語化を、どうやって再現するのか
これは結構な難題です。

様々なシーンで、どんな人にも素晴らしい言語化があるのは事実です。
しかし、「言語化とはなにか?」がはっきりと認識できていないと、それを自分のスキルとすることはできません。

そういう意味では、言語化能力は一種の「特殊スキル」とみなされている可能性もあります。

しかし最近、「これは」と思うような出来事がありました。

拙著「頭のいい人が話す前に考えていること」の編集を担当してくれた、ダイヤモンド社の淡路さんと話しているうちに、「言語化」の輪郭がはっきりしてきたのです。

そこで今回はその「言語化の正体」についての「言語化」を試み、再現性を検討してみたいと思います。

言語化とはなにか?

前述したように「言語化」という言葉は、かなり多様な意味を含んでいる言葉です。

何も考えずに解釈すれば、「言葉にすること」と言えますが、おそらく多くの人が用いている「言語化」は、単に言葉として発するという以上の意味を持っています。

例えば
「曖昧で定まっていない思考を、言葉に落とし込む作業」
であったり、
「複雑で説明の難しいことを一言で表す」
であったり、
「物事の本質を捉える
うまいこと言う
新しい表現を生み出す
など、言葉を選択する困難さを乗り越えること、と考えているのではないでしょうか。

これは、私も同じ認識です。でも、そうであるならば「言語化」の本質はとてもシンプルです。

では、結論からいいます。

「言語化の正体」とは、一体何か。
それは「アイデア」です。

ジェームズ・W・ヤングの「アイデアのつくり方」というベストセラーに言わせれば、「既存の要素の新しい組み合わせ」がアイデアです。

ですから、さしづめ言語化とは、「新しいアイデアを、言葉で表現すること」と言えるでしょう。

言語化とは、アイデアを生み出すこと

この定義は「当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、そうではありません。
なぜかと言えば、「言語化」の再現性を考えたときに「言葉」は主従でいうと従だからです。

むしろ大事なのは「言葉」というよりは「アイデア」のほうです。
ですから、「良い言語化」というのは「良いアイデア」と言い換えたほうが良いくらいなのです。

例えば、上で紹介した、「中年が人生に輝きを取り戻す、唯一のコツ」という記事です。
以下、引用します。

むかし、「35歳を過ぎると、急に頑張らなくなる」という話を書きました。「中年の危機」です。人によりますが、35歳から遅くとも45歳くらいまでに、精神的な、何かしらのパフォーマンス低下を迎える方は多いのではないでしょうか。
他の記事でも、同じような「中年の危機」についての言及があります。

ここまで紹介して、「ああ、中年って嫌だなあ」と思った方もいるかも知れません。
まあ、実際には、中年は言うほど悪いものではなく、「衰えたなあ」と言っている自分たちに、むしろ満足している場合も多いのだと思います。

若いときの憑きものがおちた、といいますか、「なにかしないと」という、強迫観念のような物がなくなるので。

ところがその一方で、知人の中には、「年齢と無関係にいつも楽しそうな中年」というのがいます。
パフォーマンスの低下がない……というより、「やる気の低下がない」方。

皆さんの周りにもいないでしょうか。
「いつまでも若々しい」というわけではありません。別に彼らは「若い」わけではないのです。
ただ、「中年」という属性が、ある種の「あきらめ」を誘発しないのです。
「哀しみのない中年」とでも言うのでしょうか。

私はなぜ、彼らが「年齢」による制約を受けないのかを、観察しました。
そして、一つの結論を得ました。

中年の悲哀の本質は何か。
それは、「人生の予測可能性の高さ」です。

つまり、「私の人生はこんなもので、これからも特に大きなイベントは何も起きない」とわかってしまうことに起因するのです。

これは「希望のなさ」というか、人生が消化試合に入ってしまったことを意味します。

先が見えたゲームほどつまらないものはないです。
結末のわかっている推理小説は興ざめです。
ネタバレされた映画の魅力は半減します。
先が読めてしまった人生は、色褪せます。

不安定な人生に比べて、予測可能性の高い人生は、一見すると安定していて良いように感じます。
が、実は「予想外」のない、ルーティンワークをこなすような人生は短く、かつ、つまらない。

逆に言えば、子供の頃は、「知識がない」「経験がない」「予想がつかない」がゆえに、不安と、そして希望と楽しさがある。

人生の予測可能性が低いこと、それが一種の「無知による幸福」をもたらしていたのです。

実は、この文章には大きなアイデアが1つ、入っています。
上で太字にした部分です。

中年の悲哀の本質は何か。それは、「人生の予測可能性の高さ」です。

中年がなぜ、人生をつまらなく感じるのか。
それは、人生の予測可能性が高いから、というのは一つのアイデアです。

皆が言いそうで、でもはっきりとは言われていなかった、「アイデア」、
それを言葉で表現することが、「言語化」なのです。

ですから、いくら語彙を増やしても、国語が得意であっても、「言語化」のスキルはそれだけでは身につきません。

上で淡路さんが述べていますが「頭のいい人が話す前に考えていること」という本は「言語化しにくい(されていない)思考に関するアイデア」をまとめてみよう、というところから始まっています。

ここがわかっていないと、「言語化能力を高めるため」の努力が無駄になってしまいます。

本を読めばいい、メモを取ればいい、そういうものではなく、それら一連の行動は【アイデアを生み出すために本を読む、メモを取る】と考えなければ、再現性は生まれません。

なお、本記事のアイデアは当然、「言語化=アイデア」の部分です。
「言語化スキル」の言語化です。

アイデアのない言語化は「言語化」ではない

つまり、こういうことです。

皆がイメージする「言語化」は、「言葉にすること」ではありません。
「言葉で新しいアイデアを表現すること」
なのです。

裏を返せば、新しいアイデアの入っていない言語化は、皆がイメージするような「言語化」ではありません。

私も以前は「国語力を高めることが、言語化能力をあげること」と勘違いをしていました。

でも、そうではなく様々な「言語化されたアイデア」に触れることで、アイデアを生み出す力を上げるほうが、言語化能力を獲得する、という目的を達成しやすいのは確かです。

ですから、本や漫画を読んだり、映画を見たり、論文を読んだり、様々なコンテンツに触れることで、「アイデアのタネ」は恒常的に仕入れなければなりません。

しかし「アイデアの生み出しかた」についての文献は、世の中にかなりあります。

ですから、「言語化能力を高めるためには?」という質問に対して、「アイデアを作る能力を高めればいいんですよ」と回答できることは、かなり有用ではないかと思います。

 

 

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【著者プロフィール】

安達裕哉

元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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